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中山地区の語り部・中田修さんに聞く「中山法華経寺」の物語

中山地区の語り部・中田修さんに聞く「中山法華経寺」の物語

5/23(火)中山地区の語り部・中田修さんに聞く

「中山法華経寺」の物語

中田修さん(82)は船橋市の中山で生まれ育ち、定年後にこの地域の歴史を調べ、その内容を西部公民館の講座や小学校の講演などで伝え続けています。中田さんは、「この地域にはさまざまな歴史が詰まっていますが、何と言っても最大の魅力は中山法華経寺だと思います」と言って、中山法華経寺の話をしてくださいました。(聞き手 広報部)

《中田修さんの話》

中山の町は、日蓮宗の五大本山の一つの法華経寺の門前町として開けてきたところですが、その中山法華経寺の話をするときに、「法華経寺には2つの日本一がある」と言っています。

「祖師堂改修の説明版より」

一つ目が、現在改修中の「祖師堂」です。宗祖の日蓮上人をはじめ初代の貫主から6代目の貫主まで祀っているお堂です。

現在の形は、比翼入母屋造(ひよくいりおもやづくり)という構造になっています。1678年に創建された当時の形のままです。しかし、1780年に改築されて別の形になっていました。近年になって、「創建当時の形に戻そう」という声が出て、1987年から約10年かけて工事をしてできたのが現在の比翼入母屋造です。この屋根の形がとても珍しく、日本全国に二つしかありません。岡山県の吉備津神社と千葉県の中山法華経寺だけです。大きさを比較すると、法華経寺のほうが数段大きい。つまり、日本一大きな比翼入母屋造の建物がこの法華経寺にあるということです。

 

「現在改修中の祖師堂」

もう一つの日本一は「荒行」です。日本一厳しい修行の場がここにあります。どんなことをしているかというと、11月1日から2月10日まで100日間入っての修行です。朝は2時50分に起床、3時に冷水で身を清めます。3時間ごとに一日7回水をかぶります。水かぶりと水かぶりの間はひたすら読経です。一番寒い時期ですからとても過酷です。食事はお粥と梅干で、朝5時と夕方の5時、2回だけ。それを100日間続けるわけです。頭やひげを剃って衣装も新しくして入りますが、出てくるときには髪はぼさぼさ、ひげはぼうぼう、痩せこけて精悍な姿になっています。命がけの修行ですが、4回、5回と入る方もいるそうです。

 

境内に大仏様が見えます。1719年にできたものですが、関東で3番目に大きな大仏様です。一番大きなものは鎌倉の大仏で坐像の高さが11.39メートル、2番目は宇都宮の大仏で3.6メートル。法華経寺の大仏は3.46メートル。あと15センチ高ければ鎌倉の大仏に次ぐものと言えたのですがね。

3番目に大きいと言いましたが、実は上野の寛永寺の大仏が2番目(6メートル)の大きさでした。しかし、1923年の関東大震災で倒れて、頭の部分と体の部分が分かれてしまったんです。体の部分は第二次大戦で兵器の材料にするために供出されてしまい、頭の部分だけが残され現在も上野公園にレリーフとして飾られています。そういうことで中山法華経寺の大仏は3番目になっているということです。

この話をするときに「大仏様というのは高さがどれくらいから大仏様というか知っていますか」という質問をしますが、けっこう盛り上がるんですよ。(答えは最後に)

 

あと、中山法華経寺のご本尊は鬼子母神ですが、江戸三大鬼子母神の一つです。ほかは「恐れいりやの鬼子母神」の言葉で有名な入谷の真源寺と、雑司ヶ谷の鬼子母神です。また、五重塔があるでしょう。あれもたいへん貴重なもので、関東で国の重要文化財の五重塔は4つしかありません。中山法華経寺、日光の東照宮、上野の寛永寺、池上の本門寺です。

 

「智泉院の水受けのご紋」

もう一つ話しておきたいのは、赤門(仁王門)の左側に「智泉院」というお寺がありますが、境内のところどころに「葵のご紋」が見られます。つまり徳川家と縁があるということです。11代将軍徳川家斉の時に、当時の住職の娘のお美代さんが、中野播磨守(はりまのかみ)清茂のところに養女として預けられます。お美代さんは頭がよくて美貌の持ち主で、中野播磨守は大奥にあがらせました。徳川家斉公は、16人の側室、53人の子どもを作るという人物で、お美代さんもすぐに見初められました。それで溶姫(やすひめ)、仲姫、末姫の3人の子どもが生まれます。

 

「当時の女中さんのお墓」

その溶姫が嫁いだのが前田家で、その上屋敷は今の東京大学本郷キャンパスのあたりにありました。前田家では位の上の家からお嫁さんをもらうときには新しい門を作るきまりになっていました。そこで、将軍の子にあたる溶姫を迎えるために新しく作られたのが「御守殿門」で赤いことから「赤門」と呼ばれるようになりました。これが今も残る東大の「赤門」で、法華経寺のお寺とこんな縁があったのです。86人の女中、家来を連れてお輿入れをした様子は絵として残されています。また、智泉院の本堂の左側にその頃の女中さんのお墓を見ることができます。

 

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他にもたくさんの話を聞きましたが、また別の機会に。(広報部)

「大仏」の答え:坐像で8尺(2.4メートル)以上。

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